HEALTH WORDS / 用語解説
陰圧
Negative Pressure
陰圧とは、ある空間の圧力が、その基準となる周囲の圧力(通常は大気圧)よりも低い状態を指す物理学的および医学・生物学的な概念である。1
医療および生物学の分野において、陰圧は感染症の伝播防止、呼吸生理学、外科学における処置など、多岐にわたる用途で利用されている。 特に病院の病室や実験室などの環境において、空気の流れを制御するために意図的に気圧差を作り出す技術として重要視されている。
感染症法に基づく特定感染症指定医療機関や第一種感染症指定医療機関などに設置される陰圧室や陰圧病室では、室外の空気が室内へ流入するものの、室内の汚染空気が室外へ直接漏れ出さないように、換気設備を用いて室内の気圧を周囲よりも低く保つ構造が採用されている。2 これにより、空気感染を引き起こす結核菌や麻疹ウイルスなどの病原体が、廊下や隣接する空間へ拡散するリスクを低減させることが可能となる。 このような施設では、HEPAフィルターなどを通過させた空気を排気することで、外部環境への生物学的危害の流出を厳重に防いでいる。1
また、呼吸器系の生理学においても陰圧は不可欠な要素である。 哺乳類の胸腔内、すなわち胸膜腔は、通常の状態において大気圧に対して常に陰圧に保たれている。3 吸気時(息を吸い込むとき)には、横隔膜や外肋間筋などの呼吸筋が収縮して胸郭の容積が拡大し、これに伴って胸膜腔内の陰圧がさらに強まる。 この胸腔内の陰圧によって肺が引き伸ばされて膨張し、肺内圧が一時的に大気圧よりも低くなることで、外界から気道を介して空気が肺胞内へと流入する仕組みになっている。
外科学および臨床医学の領域では、傷口の治癒を促進する目的や体液のドレナージを行う目的で陰圧が応用されている。 代表的な技術として陰圧閉鎖療法(Negative Pressure Wound Therapy: NPWT)が挙げられ、これは難治性潰瘍や開放創などの創傷に対して専用のスポンジなどを挿入し、密閉した上で持続的あるいは間歇的に陰圧をかける治療法である。4 陰圧をかけることにより、創傷治癒を遅延させる余剰な滲出液が効率的に排除されるとともに、局所の血流が促進され、肉芽組織の形成や細胞増殖が刺激されることで、組織の修復が早まることが臨床試験などで確認されている。4
このように、陰圧は空間制御による感染防御から、生体の呼吸メカニズム、さらには先進的な創傷治療に至るまで、現代医学および生物学のあらゆる側面において極めて重要な役割を担っている物理現象および応用技術である。
参考文献・出典
- 厚生労働省:医療関連感染の防止に関する解説: https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000889053.pdf ↩1 ↩2
- 国立感染症研究所:感染症法に基づく特定医療機関における感染防護対策に関する指針: https://www.niid.go.jp/niid/images/IDWR/all/idwr2003-24.pdf ↩
- 文部科学省:中学校学習指導要領(平成29年告示)解説 理科編: https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000889053.pdf ↩
- 日本形成外科学会:陰圧閉鎖療法ガイドライン: https://jsprs.or.jp/general/guideline/index.html ↩1 ↩2